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私がDJをやる理由。

Posted on 2026年6月7日2026年6月8日 by DeepRecommend

私に興味を持っていただけて、有難く思います。

感謝いたします。

さて、本題に入ります。

私、杉本迅はなぜDJをやるのか。

この問いに対して、単に「音楽が好きだからです」と答えることもできます。

もちろん、それは間違いではありません。

私は音楽が好きです。

音楽を聴くことも、演奏することも、音の構造を考えることも、空間の中で音が人間に与える影響を観察することも好きです。

しかし、それだけでは説明として浅いと考えています。

私にとってDJは、単なる趣味ではありません。

逃げ道でもありません。

現実から離れるための娯楽でもありません。

まして、酒に溺れるための口実でも、女性を口説くための手段でもありません。

私にとって音楽は、現在に集中するための技術です。

また、常識を疑うための手段です。

人間を観察するための実験です。

場を読み、空気を変え、人を導くための訓練です。

そして、私自身が未来ばかりを見すぎてしまう人間だからこそ、音楽が必要なのです。

私は常に未来を考える癖があります。

次に何が起きるか。

この事業はどう伸びるか。

この市場はどこへ向かうか。

この技術は社会にどのような影響を与えるか。

この人はどこで詰まるか。

この組織はどこで崩れるか。

この計画のどこにリスクがあるか。

この意思決定は、半年後、一年後、三年後にどのような結果を生むか。

頭の中では、常に複数の未来が走っています。

私は、目の前の出来事をそのまま見ているようで、実際にはその先にある構造を見ています。

一つの発言を聞けば、その人の価値観、恐怖、欲望、限界、可能性を考えます。

一つの商談をすれば、その顧客の本当の課題、組織の力学、予算の流れ、意思決定者の癖を考えます。

一つの技術を見れば、その技術がどの産業に刺さるか、どこで収益化できるか、どこで規制にぶつかるか、どこで社会実装が止まるかを考えます。

それは経営者としては武器です。

事業家としては必要な能力です。

研究開発や技術経営に関わる人間としても、未来を読む力は重要です。

しかし、人間としてはめんどくさいです。

未来を読み続ける脳は、現在に留まることが苦手です。

常に先へ行こうとします。

危機を探します。

勝ち筋を探します。

人の配置を考えます。

市場の穴を見つけます。

競合の動きを予測します。

制度の歪みを読みます。

社会の矛盾を観察します。

気づけば、身体はここにあるのに、意識だけが何年も先に飛んでいることがあります。

その軋轢で、人と衝突することもありました。

幼い頃、私は死ぬことが怖かったです。

自分がいつか消えること。

意識が終わること。

今見ている世界が、自分にとって二度と戻らないものになること。

親も、家族も、自分自身も、いつかいなくなるということ。

自分が考えているこの感覚も、いつか消えるということ。

その恐怖は、子どもの頃の私にとって非常に大きなものでした。

大人からすれば、子どもらしい不安に見えるかもしれません。

しかし、私にとっては切実な問題でした。

「人間はなぜ生きるのか」

「意識とは何なのか」

「死んだ後に何が残るのか」

「今この瞬間は、なぜ存在しているのか」

そうした問いが、かなり早い段階から自分の中にありました。

私は仏教高校に通っていました。

大乗仏教や禅宗に傾倒した時期もあります。

日蓮宗的な先祖を重んじる教育にも触れ、儒教的な価値観にも影響を受けました。

中学時代には『論語』を読み、後には『論語と算盤』にも強い関心を持ちました。

空海。

密教。

般若心経。

南無妙法蓮華経。

禅。

瞑想。

それらは私にとって、単なる宗教知識ではありませんでした。

人間がどう生きるべきか。

何処へ向かうべきか。

どうすれば、死などの不確実性の問題と向き合えるのか。

それを考えるための材料でした。

その中で出会った言葉の一つに、禅の「即今 当処 自己」があります。

今。

ここ。

自分。

遠い未来でもなく、過去の後悔でもなく、今この場所にいる自分に立ち返るということです。

これは非常に強い言葉です。

しかし、私にとって「今に集中する」というのは、簡単なことではありませんでした。

頭は常に先へ行きます。

未来を計算します。

危機を探します。

勝ち筋を読みます。

人の配置を考えます。

事業の構造を組み替えます。

社会の矛盾を見ます。

技術の未来を考えます。

人間の進化の方向まで考えます。

つまり、私の意識は、放っておくと現在から離れます。

そんな私に、

「今ここにいる」

という感覚を身体で教えてくれたのが音楽でした。

音楽は、今鳴っています。

音楽は、未来を説明しません。

音楽は、過去を弁解しません。

音楽は、今鳴っています。

キックが鳴ります。

ベースが沈みます。

ハイハットが刻みます。

シンセが空間を裂きます。

パーカッションが身体の奥に入ります。

フロアの身体が反応します。

誰かが顔を上げます。

誰かが目を閉じます。

誰かが身体を揺らします。

誰かが一瞬だけ、日常から離れます。

その瞬間、私はようやく「今」に戻ります。

私にとって音楽は娯楽ではありません。

精神の補助輪でもありません。

単なる気分転換でもありません。

現在に帰還するための装置です。

私はよく、音楽がなければ仕事に支障をきたすと言います。

これは比喩ではありません。

私から音楽を抜けば、思考の熱が逃げなくなります。

未来を読み続ける脳が冷却されなくなります。

構造ばかりを見て、人間の体温を忘れます。

勝ち筋ばかりを見て、今ここにいる人の揺らぎを見落とします。

音楽は、私の脳を洗います。

ハウス、テクノ、トランスは、思考の詰まりを流します。

反復するキックは、呼吸を整えます。

沈むベースは、身体を地面に戻します。

上物の揺らぎは、思考の熱を逃がします。

音の反復は、私にとって禅に近いものです。

音楽は、私に「即今 当処 自己」を思い出させます。

今。

ここ。

自分。

私は、音楽がなければいけない身体です。

それは弱さではありません。

むしろ、自分の性質を理解したうえで、自分を調整するための合理的な方法です。

私は小学4年生の頃からビートボックスをしていました。

中学2年生でギターを始め、作曲もしました。

高校を中退した後は、DTMにも触れました。

妹はピアノが上手く、家の中にも音楽がありました。

振り返れば、音楽は10年以上、私の近くにありました。

急に始めたわけではありません。

流行りに乗ったわけでもありません。

SNS映えのために始めたわけでもありません。

自分の身体に残っているものを、今の環境に合わせて再び取り出しているだけです。

得意なこと。

経験があること。

継続してきたこと。

身体に刻まれていること。

それを市場に出す。

これは極めて合理的な判断です。

私にとって音楽家とは、世界の見方を変えた人間です。

私にとって神のような存在は、ジョン・レノンであり、ボブ・ディランであり、エリック・サティであり、ショパンであり、ドビュッシーであり、フランキー・ナックルズであり、ホアン・アトキンスです。

彼らは、単に美しい音を作った人間ではありません。

世界の見方を変えた人間です。

ジョン・レノンは、愛と反戦を音楽にしました。

ボブ・ディランは、言葉を武器にして時代を撃ちました。

エリック・サティは、音楽の格式を静かにずらしました。

ショパンは、個人の孤独と美を旋律にしました。

ドビュッシーは、輪郭の曖昧さを芸術にしました。

フランキー・ナックルズは、ハウスミュージックで人々の居場所を作りました。

ホアン・アトキンスは、デトロイト・テクノで機械と魂を接続しました。

彼らは全員、現実をそのまま受け入れなかった人間です。

正しさを疑い、既存の秩序をずらし、新しい感じ方を提示しました。

音楽には、カウンターの役割があります。

社会に対する批判的思考。

常識への違和感。

正しさへの疑念。

現状の再定義。

「それは本当に正しいのか」

「人間は本当にそう生きるべきなのか」

「この空気に従う必要があるのか」

「この秩序は誰にとって都合がいいのか」

「この評価基準は、本当に人間を豊かにしているのか」

「この社会のルールは、誰のために存在しているのか」

音楽は、それを言葉より先に身体へ突きつけます。

クラブは、単なる遊び場ではありません。

私は、クラブを単なる遊び場だとは思っていません。

女性を口説く場所だとも思っていません。

酒に溺れる場所だとも、欲を発散するだけの場所だとも思っていません。

もちろん、そう使う人間もいます。

そう認識する人間もいます。

それは否定しません。

場は、使う人間の精神性によって意味が変わります。

不純な心で見れば、クラブは不純な場所に見えるでしょう。

表面的な快楽だけを求めれば、クラブはただの消費空間に見えるでしょう。

しかし、私にとってクラブは違います。

クラブは、場の空気を読み、人間の反応を観察し、音によって空間を再設計する場所です。

DJは、ただ曲を流す人間ではありません。

場の温度を読みます。

人の集中を読みます。

身体の揺れを読みます。

退屈を読みます。

興奮を読みます。

期待を読みます。

疲労を読みます。

違和感を読みます。

熱が上がる瞬間を読みます。

熱が落ちる瞬間を読みます。

人が一体になる瞬間を読みます。

人が離れていく瞬間を読みます。

そして、その瞬間に必要な音を置きます。

これは、経営に近いです。

市場を読みます。

顧客を読みます。

組織を読みます。

人の感情を読みます。

資金の流れを読みます。

技術の成熟度を読みます。

社会の空気を読みます。

流れを読み、次の一手を打ちます。

DJも経営も、同じです。

場を読み、構造を読み、タイミングを読み、最適な一手を置く行為です。

私は空気を読むのが得意ではありません。

無神経なところがあります。

普通の人なら自然に気づくことに、気づけないことがあります。

人の感情の細かな変化を、最初から綺麗に理解できる人間ではありません。

言葉が強くなりすぎることもあります。

結論を急ぐこともあります。

合理性を優先しすぎて、相手の心の速度を見落とすこともあります。

これは事実です。

弱点です。

誤魔化すつもりはありません。

だからこそ、訓練する必要があります。

DJは私にとって、感性の鍛錬です。

人間を知るための実験です。

未来ばかりを考える私が、今この場に戻るための修行です。

人間は、言葉だけでは分かりません。

アンケートだけでも分かりません。

会議室だけでも分かりません。

資料だけでも分かりません。

人間は、音に対してどう反応するか。

空間に対してどう緩むか。

照明に対してどう表情を変えるか。

低音に対してどう身体を預けるか。

知らない人が横にいるときに、どこまで自分を開くか。

退屈したときに、どのような顔をするか。

期待したときに、どのような目になるか。

そういうところに、人間の本質が出ます。

私がDJをやる理由の一つは、ここにあります。

私は人間を知りたいのです。

事業の対象としてではなく、マーケットの数字としてではなく、生身の存在として人間を知りたいのです。

量子コンピュータ業界で出会った、湘南のDJ。

私がDJを始めるうえで、大きなきっかけになった人物がいます。

量子コンピュータ業界で出会った、ハーバード大学卒の湘南のDJです。

彼は、単なる音楽好きではありませんでした。

知性がありました。

身体性がありました。

社会を見る目がありました。

音楽を思想として捉えていました。

量子コンピュータという極めて抽象度の高い領域に関わりながら、同時に湘南という土地の空気をまとい、音楽を通じて人間の深い部分に触れようとしている人でした。

彼は、DJをこう表現しました。

「DJは、現代のシャーマンである。」

この言葉は、私の中に強く残りました。

シャーマンとは、単なる宗教的な存在ではありません。

古い共同体において、シャーマンは人々の不安を受け止め、見えないものと見えるものをつなぎ、混乱した集団に方向を与える存在でした。

病。

死。

自然。

恐怖。

共同体の危機。

人間だけでは処理しきれないものに対して、象徴や儀式や音や身体を通じて意味を与える存在でした。

現代社会では、共同体が弱くなっています。

人は孤立しています。

情報は過剰です。

不安は増えています。

未来は読みにくくなっています。

社会のルールは複雑化し、個人は何を信じればよいか分かりにくくなっています。

そのような時代において、DJは単なる選曲者ではありません。

人の意識を切り替える存在です。

日常から非日常へ連れていく存在です。

散らばった人々の身体を、同じリズムの中に入れる存在です。

孤独な個人を、一時的に共同体へ戻す存在です。

言葉では届かない場所に、音で触れる存在です。

そう考えたとき、DJは確かに「現代のシャーマン」だと感じました。

そして、その言葉を聞いたとき、私はDJという行為を、単なる音楽活動として見ることができなくなりました。

音を選ぶこと。

場を読むこと。

人の意識を変えること。

孤独な個人を、一時的に共同体へ戻すこと。

言葉では届かない場所に、音で触れること。

それは、現代における一つの導きなのだと感じました。

誰もが果たすべき使命がある。

私はそう考えています。

人は、ただ消費するためだけに生まれてきたのではありません。

与えられたルールの中で、無難に一生を終えるためだけに生まれてきたのでもありません。

その人にしか見えない景色があります。

その人にしか感じられない違和感があります。

その人にしか渡せない言葉があります。

その人にしか鳴らせない音があります。

私にとってDJとは、自分の使命を音で表現する行為でもあります。

私は、人を導く存在でありたいです。

私はもともと「人を導く」ということに強い関心があります。

経営者とは、人を導く存在です。

リーダーとは、人を導く存在です。

研究者も、本質的には未知へ向かう人を導く存在です。

思想家も、社会に別の見方を示す存在です。

アーティストも、人間の感覚の方向を変える存在です。

私は、自分が単なる技術者で終わるつもりはありません。

単なる経営者で終わるつもりもありません。

単なる肩書きの人間で終わるつもりもありません。

私は、生き方そのものを提示する人間でありたいです。

それは、偉そうに人を従わせるという意味ではありません。

依存関係を作りたいわけでもありません。

自分の価値観を一方的に押し付けたいわけでもありません。

そうではなく、自分の生き方そのものによって、誰かに方向性を示せる人間でありたいのです。

「こういう生き方もある」

「技術と芸術は分断しなくていい」

「経営と音楽は矛盾しない」

「合理性と感性は両立できる」

「未来を作る人間こそ、現在に戻る技術を持つべきだ」

「社会の常識に従うだけが正解ではない」

「自分の身体に刻まれたものを、事業や表現に変えていい」

そう示せる人間でありたいのです。

私は、リーダーとは単に指示を出す人間ではないと考えています。

リーダーとは、場の空気を変える人間です。

リーダーとは、集団の意識を変える人間です。

リーダーとは、混乱の中に方向を示す人間です。

リーダーとは、恐怖や不安を受け止め、それを前進する力に変える人間です。

この意味で、DJとリーダーは近いです。

DJは、フロアの不安を受け止めます。

退屈を察知します。

疲労を察知します。

熱量を読みます。

音によって流れを変えます。

一人ひとりの身体を、場全体のうねりへ接続します。

リーダーも同じです。

組織の不安を受け止めます。

停滞を察知します。

不満を察知します。

熱量を読みます。

言葉と意思決定によって流れを変えます。

一人ひとりの能力を、組織全体の成果へ接続します。

音で人を導くのがDJであるなら、意思決定で人を導くのが経営者です。

どちらも、場を読む力が問われます。

どちらも、タイミングが問われます。

どちらも、勇気が問われます。

どちらも、独りよがりでは成立しません。

だから、DJは私にとって経営の訓練でもあります。

音楽の歴史は、技術経営そのものです。

私は、技術経営の世界にいます。

量子コンピュータ。

量子リザバー。

物理リザバー。

AI。

データ分析。

事業開発。

そうした領域に関わってきました。

しかし、技術経営とは、単に技術を理解することではありません。

技術が、人間の生活をどう変えるか。

技術が、人間の感情をどう動かすか。

技術が、人間の行動様式をどう再設計するか。

技術が、産業の構造をどう変えるか。

そこまで見なければ、技術経営とは言えません。

その意味で、音楽の歴史は、技術経営そのものです。

エジソンの蓄音機は、音をその場限りのものではなく、記録し、再生できるものに変えました。

それまで音楽は、その場で鳴り、その場で消えるものでした。

しかし、蓄音機によって、音は時間を超えるようになりました。

演奏者が目の前にいなくても、音楽が届く。

一度消えたはずの声が、もう一度鳴る。

人間の記憶にしか残らなかった音が、機械によって保存される。

これは、単なる発明ではありません。

人間の感覚と時間の関係を変えた出来事です。

SONYのウォークマンは、音楽を部屋から外へ連れ出しました。

それまで音楽は、家、車、ライブ会場、店、ラジオの前にあるものでした。

しかし、ウォークマンによって、音楽は個人の身体に接続されました。

街を歩きながら聴く。

電車の中で聴く。

海辺で聴く。

一人で聴く。

自分だけの世界を持ち歩く。

音楽は、場所の制約から解放されました。

これは、単なる携帯音楽プレイヤーではありません。

人間の孤独と自由の形を変えた装置です。

AppleのiPodとiTunesは、音楽を所有し、選び、持ち歩き、買う体験を再設計しました。

「どのCDを持っていくか」ではなく、

「どの曲を、どの順番で、自分の人生に配置するか」

へ変わりました。

アルバム単位ではなく、曲単位で選ぶ。

店に行くのではなく、画面上で探す。

棚に並べるのではなく、ライブラリとして持つ。

ポケットの中に、自分の音楽宇宙を入れる。

これは、デバイスの勝利だけではありません。

ハードウェア、ソフトウェア、ストア、決済、著作権、ユーザー体験を統合した、技術経営の勝利です。

Spotifyは、さらに音楽を所有からアクセスへ変えました。

音楽を買うのではなく、接続する。

保存するのではなく、流れの中で出会う。

自分で探すだけではなく、推薦される。

個人の履歴、感情、場面、時間帯に応じて、音楽が現れる。

音楽は、商品から体験へ変わりました。

そして、体験から関係性へ変わりました。

つまり、音楽の歴史とは、ただの芸術史ではありません。

蓄音機は、音を時間から解放しました。

ウォークマンは、音を場所から解放しました。

iPodとiTunesは、音を所有と流通の制約から解放しました。

Spotifyは、音をアクセスと推薦のネットワークへ接続しました。

ここまで見れば、音楽は明らかに技術経営の中心にあります。

音楽とは、感性の話であると同時に、メディアの話です。

メディアの話であると同時に、デバイスの話です。

デバイスの話であると同時に、流通の話です。

流通の話であると同時に、権利の話です。

権利の話であると同時に、ビジネスモデルの話です。

ビジネスモデルの話であると同時に、人間の生活様式の話です。

だから私は、かなり極端にこう言ってもいいと考えています。

音楽の歴史をわかっていないということは、技術経営をわかっていないということと同義です。

もちろん、これは極論です。

しかし、極論には真実があります。

技術経営とは、技術そのものを見ることではありません。

技術によって、人間の欲望、時間、空間、身体、感情、産業構造がどう変わるかを見ることです。

そのすべてが、音楽の歴史には詰まっています。

だから、私がDJをやることは、技術経営から外れる行為ではありません。

むしろ、技術経営のど真ん中にあります。

私は、音楽を通じて人間の反応を見ています。

音楽を通じて場の変化を見ています。

音楽を通じて、身体と技術と社会の接続を見ています。

そして、その先にある大きな方向性を見ています。

人類の意思を、宇宙ネットワークへ接続する。

これは、私の中にある大きな方向性です。

単なる壮大な比喩ではありません。

エジソンが音を記録可能にしたように。

SONYが音を身体と移動に接続したように。

Appleが音楽体験をデバイスと流通に統合したように。

Spotifyが音楽をネットワーク化したように。

私は、人間の意思、創造性、問い、違和感、使命を、より大きな文明の流れへ接続したいのです。

人間の意思。

知性。

感情。

祈り。

創造性。

問い。

使命。

それらを、地球上の狭い常識や制度や評価基準の中に閉じ込めるのではなく、より大きな文明の流れへ接続していく。

私は、技術によってそれを実現したいです。

事業によってそれを実現したいです。

思想によってそれを実現したいです。

そして、音楽によってもそれを実現したいです。

フロアで人々が同じリズムに入る瞬間。

知らない人同士の身体が、同じ低音に反応する瞬間。

言葉ではなく、音によって意識が接続される瞬間。

そこには、小さな宇宙ネットワークがあります。

人と人。

身体と音。

意識と空間。

個人と共同体。

現在と未来。

それらが一瞬だけ、接続されるのです。

私は、その瞬間を作りたいです。

音楽の歴史は、制約を外してきた歴史です。

その場でしか聴けなかった音を、蓄音機が時間から解放しました。

部屋でしか聴けなかった音を、ウォークマンが場所から解放しました。

CDや店舗に縛られていた音を、iPodとiTunesが流通から解放しました。

所有しなければ聴けなかった音を、Spotifyがアクセスへ解放しました。

つまり、音楽産業の進化とは、常に制約の排除でした。

しかし、制約を外すだけでは足りません。

制約を外した先に、新しい秩序を作らなければいけません。

新しい体験を作らなければいけません。

新しい文化を作らなければいけません。

新しい市場を作らなければいけません。

制約の排除、文明の創造。

これは、私の事業観であり、人生観です。

壊すだけでは足りません。

批判するだけでは足りません。

自由を叫ぶだけでも足りません。

制約を外した先に、人がより遠くへ行ける構造を作る。

人がより深く感じられる場を作る。

人がより強く生きられる方向を作る。

それが文明の創造です。

音楽も同じです。

ただ日常を壊すだけではありません。

ただ騒ぐだけではありません。

ただ酔うだけではありません。

音によって、人の意識を変える。

場の秩序を作る。

身体を開く。

孤独を緩める。

感情を動かす。

一晩の中に、小さな文明を作る。

DJは、その文明の設計者です。

技術は、人間に接続されなければ価値になりません。

この世界では、未来を語る人間が多いです。

技術の可能性を語る人間は多いです。

市場規模を語る人間も多いです。

社会実装を語る人間も多いです。

しかし、本当に大切なのは、技術が人間の身体感覚や生活感覚に接続されることです。

どれほど高度な技術でも、人間が使えなければ意味がありません。

どれほど美しい理論でも、社会に接続されなければ価値になりません。

どれほど大きなビジョンでも、人間の感情を動かせなければ、人はついてきません。

技術には冷たさがあります。

数字には冷たさがあります。

合理性には冷たさがあります。

それ自体は悪いことではありません。

むしろ、私は合理性を重視します。

数字も見ます。

構造も見ます。

勝ち筋も見ます。

しかし、それだけでは人間は動きません。

人間は、意味で動きます。

物語で動きます。

体温で動きます。

美しさで動きます。

違和感で動きます。

衝動で動きます。

音で動きます。

私はそこを理解したいのです。

だからDJをやります。

DJは、音を使って人間が動く瞬間を観察できる行為です。

これは、マーケティングよりも直接的です。

営業よりも原始的です。

経営よりも身体的です。

人間が理屈より先に反応する瞬間を見ることができます。

この経験は、事業にも返ってきます。

人を惹きつける力。

場を温める力。

空気を読む力。

退屈を察知する力。

期待を裏切らず、しかし予想だけに迎合しない力。

流れを壊さず、必要なタイミングで転換する力。

これらは、経営にも必要です。

経営もまた、選曲に近いです。

どのタイミングで新規事業を出すか。

どの顧客に先に当てるか。

どの人材をどの場所に置くか。

どの事業を残し、どの事業を切るか。

どこで攻め、どこで守るか。

どこで沈め、どこで上げるか。

どこで静かに待ち、どこで一気に展開するか。

これは、まさにDJの感覚です。

場を壊してはいけません。

しかし、予定調和だけでもいけません。

人に合わせるだけでは退屈になります。

自分を押し付けるだけでは独りよがりになります。

必要なのは、場と自分の間にある緊張を読み切ることです。

私はその感覚を、音楽を通じて鍛えたいのです。

そして、現実的な理由もあります。

私は結婚しました。

家庭を持つということは、責任が増えるということです。

責任が増えるなら、収入の柱も増やす必要があります。

これは極めて合理的な判断です。

綺麗事だけで家庭は守れません。

思想だけで生活はできません。

愛だけで請求書は払えません。

責任には、収益が必要です。

収益には、価値提供が必要です。

私は、自分が持っている資産を見直しました。

技術があります。

経営があります。

事業開発があります。

言語化があります。

構造化があります。

そして、音楽があります。

その中で、音楽は長年自分の近くにあったにもかかわらず、まだ十分に市場へ出していなかった領域でした。

であれば、出すべきです。

得意なこと。

経験があること。

継続してきたこと。

身体に残っていること。

それを価値に変える。

これは、逃げではありません。

資産の再配置です。

私は、音楽を捨ててまで経営者を演じるつもりはありません。

私はADHDと診断された背景があります。

注意が散りやすいです。

誤字脱字も多いです。

仕事で細かなミスもします。

これは事実であり、弱点です。

ただし、私は点と点をつなぐことが得意です。

経済。

物理。

設計。

事業戦略。

ロードマップ。

人材配置。

別々に見えるものを、一つの構造として捉えることができます。

大枠の方向性を掴むことができます。

足りないピースを見つけることができます。

人の適材適所を考えることができます。

必要であれば、自分自身もパズルの一部として形を変えることができます。

うまくいくなら、役割にこだわりません。

目的に対して、もっとも合理的な形を取ります。

しかし、その脳は常に動き続けます。

未来を読みます。

構造を読みます。

危機を読みます。

勝ち筋を読みます。

人を読みます。

世界を読みます。

だから、音楽が必要なのです。

音楽は、私の過剰に動く脳に身体を取り戻させます。

音楽は、抽象に飛びすぎる意識を地面に戻します。

音楽は、未来に飛びすぎる思考を現在に戻します。

音楽は、合理性に偏りすぎる私に、人間の揺らぎを思い出させます。

私は、音楽があるからまた考えられます。

音楽があるからまた作れます。

音楽があるからまた人の前に立てます。

音楽があるからまた未来を構想できます。

私から音楽を抜けば、仕事に支障をきたします。

これは甘えではありません。

自分の機能条件を理解しているだけです。

優れた機械にも冷却機構が必要なように、人間にも自分を整える仕組みが必要です。

私にとって、それが音楽です。

だから、投資家や取締役会が、私がDJをやることを許さないというのであれば、私は最終的には役員を辞任しても構わないと考えています。

これは感情的な反発ではありません。

優先順位の問題です。

肩書きよりも深いところに、音楽があります。

職業よりも前に、音楽があります。

合理性よりもさらに深いところに、音楽があります。

私は、音楽を捨ててまで経営者を演じるつもりはありません。

むしろ、音楽を持ったまま経営者でありたいのです。

経営者は、無機質な存在である必要はありません。

技術者は、感性を捨てる必要はありません。

研究者は、身体性を失う必要はありません。

リーダーは、遊びを知らない人間である必要はありません。

むしろ、これからの時代に必要なのは、技術と芸術、合理性と感性、未来と現在を接続できる人間です。

私は、そこを目指しています。

だから、私はDJをやります。

音楽は、私に現在を教えます。

音楽は、私に人間を教えます。

音楽は、私に社会を疑う力を与えます。

音楽は、私に未来を作るための余白を与えます。

私は音でフロアを読みます。

事業で市場を読みます。

人で組織を読みます。

批判精神で社会を読みます。

DJは、私にとって単なる音楽活動ではありません。

生き方の実験です。

人間理解の訓練です。

リーダーシップの修行です。

現在に戻るための技術です。

常識を疑い、新しい方向を示すための表現です。

私は、音楽によって現在に戻ります。

音楽によって人間を知ります。

音楽によって社会を疑います。

音楽によって自分を整えます。

音楽によって場を読みます。

音楽によって人を導く感覚を鍛えます。

そして、その経験を経営に戻します。

事業に戻します。

研究に戻します。

言葉に戻します。

生き方に戻します。

私は、技術と芸術を分けたくありません。

経営と音楽を分けたくありません。

合理性と感性を分けたくありません。

未来と現在を分けたくありません。

未来を作るためには、現在に戻る必要があります。

現在を感じられない人間に、未来は作れません。

人間を感じられない人間に、社会は作れません。

音を感じられない人間に、場は作れません。

だから、私はDJをやります。

これは、趣味ではありません。

余興でもありません。

逃げでもありません。

現在に戻るための技術です。

人間を知るための実験です。

社会を疑うための手段です。

リーダーとしての修行です。

自分の使命を果たすための表現です。

私は、音でフロアを読みます。

事業で市場を読みます。

人で組織を読みます。

批判精神で社会を読みます。

未来を作るために、現在へ戻ります。

人間を導くために、人間を感じます。

文明を作るために、制約を疑います。

そして、自分の人生で、未来の方向を示します。

だから、私はDJをやるのです。

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