音楽は、逃げ道ではない。現在に戻るための技術であり、社会を疑うための武器である。
私は常に未来を考える癖がある。
次に何が起きるか。
この事業はどう伸びるか。
この人はどこで詰まるか。
市場はどこへ向かうか。
そして、最終的に人間はどこへ向かうのか。
幼い頃、私は死ぬことが怖かった。
自分がいつか消えること。
意識が終わること。
今ある世界が、自分にとって二度と戻らないものになること。
その恐怖は、子どもの頃の私にとってかなり大きかった。
私は仏教高校に通っていた。
大乗仏教や禅宗に傾倒した時期もある。
そこで出会った言葉の一つに、禅の「即今 当処 自己」がある。
今。
ここ。
自分。
遠い未来でもなく、過去の後悔でもなく、今この場所にいる自分に立ち返るということだ。
しかし、私にとって「今に集中する」というのは簡単なことではなかった。
頭は常に先へ行く。
未来を計算する。
危機を探す。
勝ち筋を読む。
人の配置を考える。
事業の構造を組み替える。
気づけば、身体はここにあるのに、意識だけが何年も先に飛んでいる。
そんな私に、「今ここにいる」という感覚を身体で教えてくれたのが音楽だった。
音楽は、未来を説明しない。
音楽は、過去を弁解しない。
音楽は、今鳴っている。
キックが鳴る。
ベースが沈む。
ハイハットが刻む。
シンセが空間を裂く。
フロアの身体が反応する。
その瞬間、私はようやく「今」に戻る。
私にとって音楽は娯楽ではない。
精神の補助輪でもない。
現在に帰還するための装置である。
私にとって神は、ジョン・レノンであり、ボブ・ディランであり、エリック・サティであり、ショパンであり、ドビュッシーであり、フランキー・ナックルズであり、ホアン・アトキンスである。
彼らは単に美しい音を作った人間ではない。
世界の見方を変えた人間だ。
ジョン・レノンは、愛と反戦を音楽にした。
ボブ・ディランは、言葉を武器にして時代を撃った。
エリック・サティは、音楽の格式を静かにずらした。
ショパンは、個人の孤独と美を旋律にした。
ドビュッシーは、輪郭の曖昧さを芸術にした。
フランキー・ナックルズは、ハウスミュージックで人々の居場所を作った。
ホアン・アトキンスは、デトロイト・テクノで機械と魂を接続した。
彼らは全員、現実をそのまま受け入れなかった。
正しさを疑い、既存の秩序をずらし、新しい感じ方を提示した。
音楽には、カウンターの役割がある。
社会に対する批判的思考。
常識への違和感。
正しさへの疑念。
現状の再定義。
「それは本当に正しいのか」
「人間は本当にそう生きるべきなのか」
「この空気に従う必要があるのか」
「この秩序は誰にとって都合がいいのか」
音楽は、それを言葉より先に身体へ突きつける。
だから私は、クラブを単なる遊び場だとは思っていない。
女を口説く場所だとも思っていない。
酒に溺れる場所だとも、欲を発散するだけの場所だとも思っていない。
もちろん、そう使う人間もいる。
そう認識する人間もいる。
不純な心がある人間には、クラブは不純な場所に見えるだろう。
しかし、私にとってクラブは、場の空気を読み、人間の反応を観察し、音によって空間を再設計する場所である。
DJは、ただ曲を流す人間ではない。
場の温度を読む。
人の集中を読む。
身体の揺れを読む。
退屈、興奮、期待、疲労、違和感を読む。
そして、その瞬間に必要な音を置く。
これは、経営に近い。
市場を読む。
顧客を読む。
組織を読む。
人の感情を読む。
流れを読み、次の一手を打つ。
私は空気を読むのが得意ではない。
無神経なところがある。
普通の人なら自然に気づくことに、気づけないことがある。
人の感情の細かな変化を、最初から綺麗に理解できる人間ではない。
だからこそ、訓練する。
DJは私にとって、感性の鍛錬である。
人間を知るための実験である。
未来ばかりを考える私が、今この場に戻るための修行である。
もう一つ、現実的な理由がある。
私は結婚した。
だから、収入源を増やす必要がある。
家庭を持つということは、責任が増えるということだ。
責任が増えるなら、収入の柱も増やす。
これは極めて合理的な判断である。
私は小学4年生の頃からビートボックスをしていた。
中学2年生でギターを始め、作曲もした。
高校を中退した後はDTMにも触れた。
妹はピアノが上手かった。
振り返れば、音楽は10年以上、私の近くにあった。
急に始めたわけではない。
流行りに乗ったわけでもない。
自分の身体に残っているものを、今の環境に合わせて収益化する。
得意なこと。
経験があること。
継続してきたこと。
それを市場に出す。
これほど合理的なことはない。
東京には、クラブという発表の場がある。
音が鳴り、人が集まり、空気が変わる場所がある。
そこで人を楽しませることは、軽いことではない。
人を楽しませる。
場を温める。
感情を動かす。
「今日来てよかった」と思ってもらう。
それは明確な価値である。
価値を生むなら、仕事になる。
私はADHDと診断された背景がある。
注意が散りやすい。
誤字脱字も多い。
仕事で細かなミスもする。
これは事実であり、弱点である。
ただし、私は点と点をつなぐことが得意だ。
経済、物理、設計、事業戦略、ロードマップ、人材配置。
別々に見えるものを、一つの構造として捉えることができる。
私は、大枠の方向性を掴む。
足りないピースを見つける。
人の適材適所を考える。
必要であれば、自分自身もパズルの一部として形を変える。
うまくいくなら、役割にこだわらない。
目的に対して、もっとも合理的な形を取る。
しかし、その脳は常に動き続ける。
未来を読む。
構造を読む。
危機を読む。
勝ち筋を読む。
人を読む。
世界を読む。
だから、音楽が必要だ。
ハウス、テクノ、トランスは、私の脳を洗う。
思考の詰まりを流し、情報のノイズを落とし、身体を現在に戻してくれる。
音の反復は、私にとって禅に近い。
キックは呼吸を整え、ベースは身体を地面に戻し、上物の揺らぎは思考の熱を逃がす。
音楽は、私に「即今 当処 自己」を思い出させる。
今。
ここ。
自分。
私は、音楽がなければいけない身体である。
これは比喩ではない。
音楽があるから、私はまた考えられる。
音楽があるから、私はまた作れる。
音楽があるから、私はまた人の前に立てる。
私から音楽を抜けば、仕事に支障をきたす。
それでもいいなら、判断すればいい。
投資家や取締役会が、私がDJをやることを許さないというのであれば、私は役員を辞任しても構わない。
肩書きよりも深いところに、音楽がある。
職業よりも前に、音楽がある。
合理性よりもさらに深いところに、音楽がある。
私は、音楽を捨ててまで経営者を演じるつもりはない。
むしろ、音楽を持ったまま経営者でありたい。
音楽は、私に現在を教える。
音楽は、私に人間を教える。
音楽は、私に社会を疑う力を与える。
音楽は、私に未来を作るための余白を与える。
私は音でフロアを読む。
事業で市場を読む。
人で組織を読む。
批判精神で社会を読む。
だから、私はDJをやる。
