他人の話を
「知ってる知ってる」
「わざわざおおげさに話すなよ」
みたいに聞くと成長できない
おそらくそういう人は
いつもの道路に植えられた木に金が生えていても気づけない
既視感(デジャヴ)より未視感(ヴジャデ)が重要
なぜかというと、それまで見過ごしていた可能性や解決策に気付く機会を逃すからである
残念ながら、人は無意識に既に知っていることが多いが、言語化やモデル化してる人は少ない
ゲシュタルト崩壊なんかも
大枠しか捉えられなかった構造を
細部まで分析できる
まさに、森を見て気を見ず(木を見て森を見ずの逆として)状態から
1本1本の気を凝視するようである
物質の構造もフォルダー構造も
階層になっているので、抽象と具象の行き来である
“再認知”は絶好の学習の機会
それまで見過ごしていた可能性や
解決策に気付く機会を提供することができる
実は、多くの問題解決や創造的手段は
「気づき」から生まれる
当たり前のようにコーンの上に乗ってるアイスクリームも
最初は「ワッフルにアイスクリーム乗せたら美味いんじゃね」という
物事の再認知と気づきから生まれる
再認知でわかりやすいのは
年齢によって音楽の聞こえ方が変わるとか
そういったところであろう
様々な変数で人の認知のレンズは変わる
それが「気づき」である