なんだかやる気を出して頑張ろうとしてる人ほど、、、
こうなってしまうお悩みを多く聞きます。
今回はそんなやる気ある難民を救うべく
どう行動していくべきかを述べていきます。
また、失礼だと理解しながら、わかりやすいので
やる気ある←→なし/有能←→無能のマトリクスを使用して説明させていただきます。
現代の風潮
少なからず経済の影響なんかもありますし
悪く言うつもりはありませんが
現代社会でのマジョリティーはやる気・情熱・信念がありません。
というか、「やる気は死んだ」というのが正しいでしょう。
なので必然的に、やる気がある人が少数派になります。
やる気がある人がフラストレーションを感じているというなんとも言えない時代です。
やる気のある無能という言葉も流行り
もはや、
・やる気がある事自体が悪
・もっと社会を良くしていきたいというのがダサい
・意識高い系ヤダ
・ある程度、豊かに稼げれば良い
・やる気の効率が悪い
みたいな風潮があります。
また、やる気のない有能が力を持っている構造です。
ですので
やる気のある有能に人はついてこないし
やる気のある無能は有能になるための自己研鑽がしにくいし
やる気のない無能は絶望しているか、もしくは、やる気のない有能と同族だと錯覚/楽観している
というような状態です。
しかしながら
やる気ある選択をしてしまったのは自分なのだから
やる気出して頑張っているのに報われないと思ってはいけません。
そもそもやる気というのは
言葉自体が曖昧すぎます。
それに頼って、信仰してはいけません。
ですが、だからこそポジショニングとして強烈なくらいにやる気に溢れれば良いのです。
パンク・カウンターカルチャーの歴史と今
カウンターカルチャーは、現状への反発から生まれました。
Wikipediaによると
カウンターカルチャー(英: counterculture)、対抗文化(たいこうぶんか)とはサブカルチャー(下位文化)の一部であり、その価値観や行動規範が主流社会の文化(メインカルチャー/ハイカルチャー)とは大きく異なり、しばしば主流の文化的慣習に反する文化のこと[1][2]。しかし、カウンターカルチャーの価値はメインカルチャーに取って代わりうるポテンシャルを持つ(オルタナティブ・カルチャー)。カウンターカルチャー運動は、ある時代の市井の人々の精神と願望を表現するが、カウンターカルチャーの力が大きくなると、劇的な文化の変化を引き起こす可能性がある。
パンク(英: punk)は、パンク・ロックを中心に発生したサブカルチャーである。当初はロック音楽、イデオロギー、ファッションを中心としていたが、後にアート、ダンス、文学、映画などが含まれるようになり、独自のサブカルチャーを形成した。パンクというサブカルチャーを体現する人々をパンクス (punks) と呼ぶ。1人の場合はパンク (punk) である。本来の意味は「不良、チンピラ、役立たず」[1]である。
カウンターカルチャーの力が大きくなると、
劇的な文化の変化を引き起こす可能性があるとポジティブな側面もある反面、
パンクの本来の意味は不良・チンピラ・役立たずであるとネガティブな側面もあります。
このポジティブな側面を活かすというのが今回の趣旨です。
力を持っている人が誰かというのを見れば
昔は、強烈にやる気・情熱・信念に満ち溢れている力を持った人が作った堅苦しい制度に中指を立てる
という反発の仕方でしたが
現代では少し違います。
現代では、やる気・情熱・信念のない人が力を持ったからです。
その人たちに
・現状に満足しちゃってるんじゃないの?
・個人が良ければ良いじゃなくて、社会全体を考えるべきなんじゃいの?
というアンチテーゼに変わりました。
こういう言い回しになると
権力を持つべきだというように聞こえるかもしれませんが
そうではありません。
何が言いたいかというと
ポジティブな意味を持っていたやる気があるという言葉が
ネガティブな意味になってしまったということです。
そして、本来パンクは無能という意味を含むということです。
また、
・儲かる
・資本
・実用的
・役に立つ
だけでなく
・個人の感情
・社会問題
も考慮しないといけない時代です。
それらの現実をまずは受け止めなければ何も始まりません。
日本が変わらない理由
少しずつ日本人の意識が変わり始めたと感じていますが
大きくはまだ変わっていません。
日本のどこを変えれば良くなるかという話に出てくるのは
大体
・政治
・教育
・メディア
の3大巨頭です。
これらで社会を良くしていくのは間違ってはいないもの、難しいです。
なぜなら、、、
政治で社会を変えるのが難しい理由
少子高齢化のため構造上、若者の意見が通りにくいというのもありますが
それ以上に若者がそもそも変える必要がないという意見です。
NHKの記事を参考にすると、自民党への信頼を重視しています。
日本の政治は長期にわたって安定しているため
そもそも、改革に対して寛容じゃないのです。
野党にはいくら若者の意見を尊重するとはいえ信頼がないのです。
また、現状維持バイアスという
知らないことや経験したことがないことを受け入れたくないという心理的傾向は
少なからずあるでしょう。
教育で社会を変えるのが難しい理由
小さい世界で語って申し訳ないのですが
僕の頭の良い友人も日本の教育制度には
フラストレーションを溜めていていました。
教員は公務員ですからやはり法に基づいた行動しかできない仕組みで
政治と同じく、規律ばりばりのことを変化させることは
なかなかできません。
メディアで社会を変えるが難しい理由
メディアの天才は日本では潰されてきました。
代表的な例は
・ロッキード事件の田中角栄
・リクルート事件の江副浩正
事件の内容自体はメディアと直接関係しませんが、嫌な予感はします。
また、科学論文や創作された芸術、建築などの一次情報と比較するとインパクトに欠けるし
情報は所詮は個人的意見として、片付けることもできます。
逆に、インパクトを求めるとプロパガンダになり
情報の信頼性を失ってしまいます。
また、多様な意見を受け入れ発信すると
一貫性がないものとみなされてしまいます。
よって、メディアはメディアそのものではなく、副次的なものとして考えないと難しいです。
ではどうすべきか
では、具体的にどうしていくべきなのかを述べていきます
やる気のない有能のやり方だけを取り入れる
やる気のない有能がどう動いているのかをよく見ることが重要です。
手段やツールをTTP(徹底的に)パクるしましょう。
やる気のある方たちは巨人の肩に乗るとか
パクるとか嫌いだとは思いますが
ここはありがたくお借りしましょう。
そして、やる気のある人と違ってやる気のない人は理性に欠けるので
食事・性・お金に敏感です。
それを活用しましょう。
ショート動画で
・飯テロ、モッパン、ASMR
・露出の多い女性、恋愛の話
・稼ぐ方法、バズる方法
が受けるのはそれが理由です。
アイデアは公のものです。
決して、自分のアイデアを盗まれても
特許を出しているとか、NFTとかじゃない限り
文句は言えません。
また、ギブの精神で
保有を辞め、流動を意識しましょう。
アイデアもお金もダムの水ではなく、パスを回すボールと考える事が重要です。
パスを回し、回してもらい、シュートを打つべき人が打つ感覚です。
自分の価値を高めつつやる気ない者に寄り添う
やる気のある人は傲慢に見えます。
相当能力が高かったり、結果を必ず出す信頼があり、著名とかじゃない限り
誰も熱量のある人に付いていきたいと思わないのです。
他人にポジティブを求めてはいけません。
一生懸命な先生より、やる気のない先生の方が
人気だったのはそのせいです。
寄り添わないといけません。
ちなみに、「能力とやる気は相関するのでは?」「やる気があれば能力が上がる」
というのは誤った認識です。
これは、筆者のスポーツの経験で申し訳ないのですが
黙ってやる気がなさそうにしていても、勝てるチームは勝てるし
円陣を組んで「絶対勝つぞー!」と言っても、負けるチームは負けます。
つまり、何が言いたいかというと
やる気の有無に関係なく、やることをやっていれば結果は出るということです。
やる気のある同士で助け合う
同盟やパートナーシップで助け合い、価値を創っていくことが重要になります。
個人も企業も大学も境界が薄くなり、昔よりももっと粒度が小さくなるでしょう。
なので、営業は足で稼ぐみたいな古典的な方法ではなく
SNSのレコメンデーションで出てきた自分と近い人たちと繋がるで問題ありません。
かといって、誰とでも繋がれることが主流の時代なので
直接繋がることが希少価値として成立する場合もあります。
これに関しては、バランスです。
文化で健康と思いやりを重視し、ストレス緩和を提供する(観光・アート・エンタメ)
実はDJ社長とユリウス・カエサルのやり方は同じだということを学びました。
莫大すぎる借金をしまくって取り返しのつかないような期待を得る。
↓
音楽 / ガリア戦記で、出世払いをする。
みたいな生き方です。
まあ、これは極端な例ですが、それだけ情熱と覚悟が通じたということです。
これは一種のエンタメ、文化的な貢献で魅せ方を工夫しています。
あとは、ストレスを軽減するのに
動物や自然が有効だといいますが、
実は抽象的なアートもストレスには良いのです。
なので、クリエイターとして貢献したり
クリエイターに貢献したりすることも重要です。
心身ともに健康需要として需要の高い歯科医や精神科医になるというのも有効ですよね。
何しろやる気がある人は勉強するので、、、
そして
文化を作ったり、壊したところで
制度や法律と違い
誰かが犠牲になったりすることはありません。
人に受け入れやすいし、有益でしょう。
テクノロジーで効率化を提供する(DX・AI・量子コンピューティング・3Dプリンターなど)
この前、建築は変わらないという話をしていました。
変わっても、クオリティーが追いついていなかったということも言っていました。
「プリツカー賞を取った日本人の建築家の名前を誰も知らない」みたいな
状況もあるようです。
何しろ、建築はひとつプロジェクトに莫大な時間を透過します。
その分、残りやすいというメリットもあるようですが
変化に時間がかかるのです。
それで
3Dプリンターやメタバースなどのデジタルを活かして
サイクルを早くしようという動きもあるようです。
ソフトウェア開発におけるDockerやKubenetesなどの仮想技術みたいですよね。
少し脱線しましたが、開発効率の事を言いたいのです。
アジャイル的に高速でPDCAを回さないといけないという話です。
また、業務効率化のためのDX促進の一元化ツールも増えたように思います。
Flutterというモバイル開発キットもAndroid, iOS, Webなどに対応したクロスプラットフォームです。
一元化というのもますますキーワードになっています。
あとは、AI・量子コンピュータも
様々な分野で業務効率化を提供できそうです。
中身は現在単なる最適化だったり、アルゴリズムだったりするので
それをもっと改良したり実用化したりするのもやる気があるならできます。
社会問題について考える(サステナビリティーなど)
SDGsを謳っている企業は
怪しいという意見がありますが
過激なヴィーガンとか
SDGsをやっているとわざわざ言わなければ、問題ありません。
やる気があるなら、何も言わずに社会問題の解決に目を向けるべきです。
・差別や格差でも
・環境でも
・健康でも
他にも色々ありますが
それらも考えながら活動すべきです。
本当にやる気があるならできます。
昆虫食の開発なども良い例かもしれません。
大きいことに目を向ける(世界・宇宙・仮想現実)
やる気があるなら
大きいことに目を向け、取り組めるはずです。
世界で戦うというのもひとつの手でしょう。
そして、テクノロジーをやってる賢い人たちは手段は違えど
宇宙・仮想現実に向かっていることに勘付いています。
・世界という広大な視点を持つこと
・宇宙という未開拓の地に進むこと
・仮想現実という抽象的な世界を理解すること
これらはやる気のある人にはもってこいことだと思います。
結論
やる気のある人は
信頼が必要という現実を直視し
↓
得た信頼からお金を道具として優先的に稼ぎ
↓
ポジショニングとしてやる気を用い
↓
個々人の幸福のために
↓
変化に寛容な分野で
↓
社会全体のゴールに目を向ける
・一緒にいた人が離れていく感覚がある
・社会が穏やかになっている感じがする
・やる気とか情熱とか信念とかが通用しない
・ひとりだけ浮いてしまう